わたしが海外で感じた言葉の壁は、耳に障害を持つ友人が日本で感じている壁だった

わたしには、生まれつき耳が聞こえない大親友がいます。

一緒にいるだけでモチベーションが上がる・自分が高まる友人がいると人生は豊かに
わたしの周りには、自分の意識を高く保っている女性が多いです。 それは、お仕事に関しても、私生活においても、自分に対しても。 常に前へ...

彼女と逢うとき、わたしはいつも多くのことを学びます。

聴覚に障害のある友人から学ぶ!聴覚障害者から見る健常者とは?広がる格差とは?
わたしには大切な親友がいて、彼女は生まれつき耳が聞こえません。 その友人から学ぶことは多く、今回も言われて気付いたことや、「そうな...

彼女との会話で、今回も気付いたこと、学んだことがありました。

とても大切なことなので、シェアします。



やっぱり平等じゃない。存在する「壁」

わたしがカナダへ行く前、彼女との会話で、心と耳に強く残った言葉がありました。

それは、「平等ではない」ということです。

世の中は、「健常者本位」で出来ている

日本に住む人口のうち、何らかの障害を持つ方の割合は、およそ6パーセント。

その他94パーセントの人たちは、いわゆる健常者と呼ばれる人たちです。

デジタル大辞泉 - 健常者の用語解説 - 心身に病気や障害のない者。障害者に対していう。

耳に障害を持つ友人は、日常的にこのように感じているとわたしに話してくれました。

世の中は、健常者が生きやすいように出来ている

この言葉を聞いたとき、わたしは強い衝撃を受けました。

今まで感じたこと、考えたことがなかったからです。

友人の体験をシェア(実話)

友人は、大手住宅メーカーの設計を担当しています(難しい資格も持っていて、とても優秀な女性です)。

場合によっては、お客様と直接お話しする機会があるそうで、その時に体験したことを話してくれました。

ある日、お客様に住宅のことで質問された友人。

友人にとって、慣れている人の口の動きだったら、大体何を言っているのか読み取ることが出来るそうですが、そのときは初めて話す相手だったため、読み取るのが難しかったそうです。

そういう場合、友人は相手の方に自分が耳に障害を持っていることを伝え、話すペースを落としてもらう、または筆談をお願いするそうです。

大抵のお客様は、驚くことはあっても快く承諾してくださり、問題はないそうですが、中には理解のない、心無いことを言う人もいて、そのときのお客様は、不運にも後者でした。

お客様(男性)に、自分の障害のことを説明し、話すペースを落としてもらえないか、筆談をお願い出来ないか尋ねた友人。

彼が彼女に向かって放った言葉は、次のような言葉でした。

まともに会話出来ないのなら、どうしてこの仕事しているの?
障害があるのは自分のせいでしょ?それなのに、どうしてこちらが合わせなきゃいけないの?おかしいでしょ。

そのときの口の動きは、彼女にも理解出来たそうで、彼が何と言ったか、彼女にははっきりわかったそうです。

そのとき彼女は、言うまでもありませんが、とても悔しい思いをしたそうです。

それでも、必死に怒りをこらえ、

友人
障害があることは誰のせいでもありません。障害を持っていることは、わたしの使命だと思っております。
友人
ゆっくり話していただくことが、ご迷惑と感じられたなら謝ります。が、仕事に対しては真剣に取り込んでおります!一生懸命やらせていただきますので、どうかわたしに仕事をさせてください!!!

そう言って、彼女は頭を下げたそうです。

その姿を見て、相手は少しだけ態度を変え、謝ることはしなかったそうですが、ゆっくり話してくれるようになったそうです。

障害者が健常者に気を遣わないと生きていけない現実

その話を聞いたとき、わたしは怒りと悔しさで震えました。

もちろん、大切な友人がそんなひどいことを言われ、傷つけられたことに対しての悔しさが強かったのですが、同時に、健常者が障害者に対して抱いている「健常者のほうが上」と言う考え方に、怒りを覚えたからです。

友人は、言いました。

友人
確かに、健常者の人たちはすごい。世の中が便利なのは、彼らのおかげだと思うし、とても感謝している。
友人
でも、障害を持つ人たちが世の中に全く貢献していないわけではないし、平等に扱われて良いはずだと、わたしは思う。

友人
でも、実際には平等に扱われることは少なく、心のどこかで「自分のほうが上」と健常者に思われている感じはする。
友人
障害者が生きていくには、理不尽なことを言われようと、怒鳴りたい気持ちを抑え、健常者に気を遣って言葉を選び、下手に出ないと話さえ聞いてもらえないときがある。

友人
同じ日本なのに、「差別」という見えない壁があって、嫌でもそれを感じてしまうことがある。悲しいけど、それが現実。

わたしが海外で感じた「壁」

友人からこの話を聞いた数日後、わたしはカナダへと旅立ちました。

カナダ出発日!1年越しの願いがついに叶う日ーカナダワーホリへ行ってきます!!!
今、わたしは成田空港第一ターミナル/四川航空搭乗口前でこの記事を書いています。 ついに今日(2017年3月13日)、念願だったカナダへ...

カナダでは、現地のツアー会社で働いていたのですが、そこで友人が話してくれた「壁」にぶち当たることとなりました。

カナダでわたしが体験したことをシェア(実話)

現地のツアー会社で働いていたとき、わたしの同僚はほとんどがカナディアンでした。

若い方、もしくは同年代の方が多く、彼らの英語はとても早く、聞き取るのに苦労しました。

カナダでは、年配の方のほうがアジア人や母国語が英語じゃない人に対して優しく、ゆっくり話してくれる印象があります。

若い方は、そんな配慮はなく(もちろんある人もいますが)、わかるのが当たり前というスタンスで、ネイティブのスピードで話し掛けてきます。

こちらが聞き取れず、

わたし
Excuse me, could you speak more slowly?(すみませんが、もう少しゆっくり話してもらえますか?)

と伝えると、はっと気付いてゆっくり言い直してくれる人もいますが、中には、

ネイティブスピーカー
Why you are here? If you can not understand English, go back to your country(なぜここにいるんだ?もし英語が理解出来ないんだったら、自分の国へ帰れ)

的なことを言ってくる人もいました。

なぜそんなことを言われなければいけないのか!と、悔しい気持ちにもなりましたが、忙しくてイライラしているのかな?と思うようにして、

わたし
I’m sorry, my English is no good(わたしの英語力が乏しくてすみません)

前置きしたうえで、

わたし
however I would like to understand what you said, so could you speak more slowly?(でも、あなたが言ったことを理解したいので、もう少しゆっくり話してもらえますか?)
お願いすると、 相手はめんどくさそうにでも言い直してくれることがありました。

このようなとき、わたしはいつも日本で友人とした会話を思い出していました。

同じ人間なのに、見えない壁がある

状況は違えど、友人の話してくれたことを体感した瞬間でした。

ネイティブスピーカーが「上」という考え方

旅をしていて感じるのは、移民が多く差別が少ないと言われているカナダのような国でも、ネイティブスピーカーとそうじゃない人のは確実にあるということです。

スーパーやコンビニで買い物をするとき、ネイティブスピーカーには笑顔で対応するのに、そうじゃない人に対しては無愛想に対応する店員や、ネイティブスピーカーじゃない白人には通常通り対応するのに、アジア人に対しては明らかに適当な対応をする店員を見たことがあります。

これは、明らかな差別だとわたしは思います。

それでも、自分がネイティブスピーカーでないことは確かで、自ら英語圏へ行き、暮らすという選択をしたわけなので、そのような思いをするのは、ある意味仕方のないこと、良い勉強だと受け入れることが出来ます(あまりにひどいときは、喧嘩しますけど)。

もちろんつらく、傷つきますが、その状況に耐えられなくなった場合、いつでも日本へ帰れるという考えがあるので、耐えられるのだと思います。

友人の話とわたしが体験したことを通して考えたこと

日本で差別されたらどこへ逃げれば良いの?

自らの体験を通し、友人との会話を振り返って考えたとき、日本で生まれ、日本で暮らす障害者の方々が差別を受けたら、どこに逃げ場があるのだろう?と考えさせられました。

同じ日本人であることに変わりはないのに、ただ障害を持っているというだけで、「下」に見られ、蔑まれ、差別される世の中だったら、生きているのがつらく、苦しくなるのは当然です。

そのことについて、わたしはカナダから帰国後、友人と逢って話しました。

彼女は、わたしの目を見て、こう言ってくれました。

友人
健常者で、そのように感じてくれる人、考えてくれる人がひとりでもいれば大丈夫。

と。

友人
わたしたち障害者が、健常者同様、平等に生きて良い権利があること、いつか世の中の人全員に理解してもらえたら良い。
友人
それまで、自分の受けた使命を全うして、頑張るよ!

そう微笑んだ彼女は、わたしには強く、たくましく、かっこよく見えました。

わたしが海外へ出て行く意味

わたしはカナダで、ネイティブスピーカーじゃないこと、アジア人であることで差別されるつらさを味わい、心底苦しく、もうずっと日本にいたい!当分英語使いたくない!と思った時期がありました。

でも、今回の体験を通し、大親友の彼女が話していたことを目の当たりにし、自ら体感し、気持ちを味わったことで、彼女が感じている気持ち、障害を持つ人が健常者と暮らしながら抱いている気持ちを、以前より何倍も理解出来るようになった気がします(まだまだ足りませんが・・・)。

そのことは、本当に良かったなぁと感じると同時に、あのつらい日々は、それを知るための勉強だったんだ!と思うことが出来ています。

ずっと日本にいたら、きっと一生気付けなかったかもしれないことでも、海外に行くとわかることがある、気付くことがある。

わたしは、そのことに気付くために、知るために、海外へ出て行くのかもしれません。

そして、それを書き記す・・・

わたしの使命は、伝えることなのだと、最近ものすごく感じます。

わたしの文章を読んで、何かしら共感してくださったり、感じてくださる方がいれば、幸いです。

これからも、わたしなりの目線で、わたしなりの言葉でひろたびを綴っていきます。

これからも読んでいただけたら、嬉しいです(*^^*)

読んでいただき、どうもありがとうございました!!

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