聴覚に障害のある友人から学ぶ!聴覚障害者から見る健常者とは?広がる格差とは?

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わたしには大切な親友がいて、彼女は生まれつき耳が聞こえません。

一緒にいるだけでモチベーションが上がる・自分が高まる友人がいると人生は豊かに
わたしの周りには、自分の意識を高く保っている女性が多いです。 それは、お仕事に関しても、私生活においても、自分に対しても。 常に前へ...

その友人から学ぶことは多く、今回も言われて気付いたことや、「そうなんだ・・・」と考えさせられたことがあったので、この場を借りてシェアしたいと思います。

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接客時、英語で返答されることがある

現在、日本には多くの外国人観光客が訪れていますが、中でも多いのはアジア人である中国人でしょう。

都内を歩いていても、至るところから中国語が聞こえてきて、一瞬「ここ、日本だよね?」と思ってしまうほどの多さです。

そんな状況だからこそ、次のような状況が生まれると教えてくれました。

お買い物へ行った際、店員さんに質問しようとした友人。

友人
あの、すみません

返ってきた答えは、

店員 さん
ソーリー、イングリッシュ オア ジャパニーズ プリーズ

信じられますか?

しかも、これが一度や二度ではなく、頻繁に起こるのだそう。

これには、驚きました。

どうしてそのようなことが起こるのか?

わたしの友人は、生まれつき耳が聞こえませんが、幼い頃の努力の末、話すことが出来ます。

わたしからすると、健常者と同じくらいクリアに話せていると思いますが、騒々しい店内や初対面の人からすると、聞き取りにくいこともあるのかもしれません。

それで、店員さんが彼女の発音を、中国人やどこかの国のアジア人(顔がアジア人のため)が母国語で話し掛けてきていると勘違いし、悪気はなくそのような受け答えをしてしまうのではないか?というのが友人の見解です。

どういう気持ち?

友人からその話を聞いたとき、わたしは怒って、それって失礼だよね!!!嫌な気持ちになるよね!!!と言ったら、彼女から次のような答えが返ってきました。

友人
もちろん嫌だし、傷つくよ。でも、間違えちゃった側が、間違いだとわかったときにちゃんと丁寧に謝ってくれたり、そのあとゆっくり話してくれるなどの接客で誠意を見せてくれたら、嫌だった思いはなくなって、またそのお店に行こうかなと思える。

なるほどな・・・と頷くわたし。

友人
障害者だからって、接客を雑にされたり、めんどくさそうにされたこともある。そういうところは、どんなに美味しいレストランでも、可愛い洋服が売っているお店でも、二度と行かない。障害者に対する態度や扱いで、そのお店の本質が見えてしまうものなんだよね

これを聞いて、わたしはあることを思い出しました。

オーストラリアを旅していたとき、どこかお店へ入るとかなりの確率で「ニーハオ」と言われ、「I am Japanese!!!」と言い返したことがありました。

すると、「Oh, sorry」と言ってくる店員さんもいれば、「コンニチワ!!」と笑顔で返してくる店員さんもいたりして様々でしたが、本人は全く悪気なく間違えてしまうことでも、相手の心を傷付けてしまったり、嫌な思いをさせてしまうことがありますよね。

その場合、きちんと謝罪し、誠意ある対応を心掛ければ、気持ちが相手に伝わり、嫌な気持ちは残らないということ。

これは、健常者・障害者に関わらず、すべての場合に言えることだな〜と思い、勉強になりました。

障害者の中に存在する「格差」

友人は、聴覚障害者のためのサークルを作成し、活動を続けているため、いろいろな方からのお話を聞くことが多く、わたしにシェアしてくれます。

こんな話を聞きました。

障害者の中にも「格差」は存在し、障害が重ければ重いほど、お給料の安いお仕事にしか就けず、生活に苦しむことが多いと。

障害によって就ける仕事が異なる

友人の場合、重度の聴覚障害者の認定を受けていますが、幼い頃からのご両親や本人の努力の末、健常者であるわたしたちとほぼ同じようにお話をすることが出来ます。

(あくまでわたしの主観で、友人からしたら異なる感じ方をしているかもしれません)

そのため、きちんとした福利厚生のもと、大手企業の本社でバリバリ働いています。

(彼女自身が努力家で、難しい資格に挑戦し、取得していることも大きな要因です!!)

それでも、電話応答が出来なかったりと肩身が狭い思い、一緒に働いている方々に申し訳ないと感じることが多くあるそうです。

ただ、友人曰く、まったくお話をすることが出来ない聴覚障害者の方だと、オフィスや接客応対など、人と関わる仕事が難しいと判断され、工場など、ひとり黙々と行う作業現場(人とあまり関わらない仕事)への働き口しかなく、孤独に陥ってしまうケースが多いとのことです。

もちろん、重度であれば重度であるほど、国からもらえる年金の額は増えます。

ですが、金額的にタカが知れており、ひと一人が一生暮らしていくなんて不可能な額です。

そのような格差を埋めるためにはどうしたら良いのか話し合ってみました。

格差に大きく関係する教育方針

通常、生まれつき耳が聞こえないと判断された子供たちは、ほとんどの場合「ろう学校」へ行くことが多いそうです。

ろう学校とは、「口で発音して話せるようにする」教育ではなく、「手話や筆記でコミュニケーションを取れるようにする」教育を方針としているため、子供たちは口で話すことはせず、その後の人生を歩んでいくことになり兼ねません。

友人のご両親は、友人が生まれてすぐ、友人の両耳がまったく聞こえない事実を聞かされたそうです。

それでも、必死に言葉を覚えさせ、コミュニケーションが取れるように育て、ろう学校ではなく、健常者と同じ小・中学校へ入学させるという選択をしたそうです。

学校からの入学拒否など、いろいろな「壁」はあったそうですが、懸命なご両親の説得の末、ついに学校側は受け入れを承諾。

友人はわたしと同じ小・中学校へ入学したというわけでした。

友人に、健常者と同じ環境で学ぶメリットをきいてみました。

友人
もしもイジメがあったらまた違う結果になっていたかもしれないけれど、わたしたちの学校は友人も先生も理解があったし、恵まれていたと思うの。そのおかげで、「健常者」の前でビクビクしたり、引け目を感じたりしなくなったし、堂々といられることがいまのお仕事にもつながっていると思うんだ

「障害者の世界」・「健常者の世界」

友人の会社に、聴覚に障害を持っている男性が入社し、現在友人がお仕事を教えているそうです。

彼の場合、「障害者の世界」「健常者の世界」という意識を強く抱いてしまっているようです。

それは、どのような世界なのでしょうか?

ろう学校で教育を受けると、同世代の健常者との関わりというのはなく、そこで体験したこと、経験が彼の中での「普通」となってしまい、「常識」となります。

そこからいきなり大人になってから社会に出て、健常者と関わることになったとき、彼からしたら納得のいかないことが多々発生するわけです。

友人は、聴覚に障害はありますが、健常者と関わりのある、いわゆる「健常者の世界」での教育を受け、それが彼女の中の「常識」となります。

そして、サークルを通じてろう学校で学んだ聴覚障害者の方々の気持ちもわかっているので、そのことをうまく調和して注意をしたり、説明しようとします。

そうすると、

友人
それは健常者が勝手に作り上げた世界のルールですよね?どうしてわたしたち障害者がそれに従わなければいけないのですか?健常者が偉いからですか?

友人曰く、ろう学校で教育を受けたからといって、全員がそのような世界観、健常者に対しての思いを持っているわけではありませんが、「ここは健常者が築いた世界だ・・・」という観念を抱いている聴覚障害者は少なくないのでは?と話します。

それがますます誤解を生み、格差となっていくのでは?と話してくれました。

同じ環境で学ぶということ

友人は、自分の経験を踏まえ、聴覚障害を持つ子供たちを常者と同じ環境で一緒に学ばせるべきと考えています。

そして、わたしもその意見に賛成です。

わたしは健常者の立場として、中学時代に聴覚に障害を持つ友人と出逢えたことで、障害者の方に対して「特別」だという意識はありません。

もしも身近に健常者しかいない環境で育っていたら、もしかしたら変わっていたかもしれません。

そう考えると、わたしは同じ学校に彼女がいてくれて本当に良かったと思いますし、大切なことをたくさん気付かせてもらえる彼女の存在はありがたく、他の皆や先生にとっても大きな経験だったのではないかと考えます。

幼い頃、いろいろな人種と一緒に育った子供は、人種差別をする大人にはなりづらいと聞きます。

それは、幼い頃から「当たり前」や「特別」という感覚がなく、「人」として向き合えるからです。

逆に、同じ人種の中だけで育った子供は、自分たちが「当たり前」となり、肌の色などが異なる人に会った場合、「人」という認識よりも先に、「自分と異なる人」という考えが頭を満たし、受け入れるのに時間が掛かるでしょう。

障害者と健常者も全く一緒で、幼い頃から同じ環境で学ぶということは、両者にとって大きなメリットを生み、将来的に雇用にも影響を与え、格差が減るのではないでしょうか?

「壁」をなくそう

健常者の中でも、なかなかなくなることはないとされる「格差」。

それは、障害者の中でも起こっていて、差を縮めるのは健常者の格差以上に難しいと友人は語ります。

ただ、教育のカタチ・在り方を変えることで、少しは縮めることが出来るのかもしれません。

とても難しい問題ですが、いつか差が縮まると良いです。

最後に、このような問題について話し合える友人を持てて、わたしは幸せです。

今後も、友人から学んだこと、考えさせられたことなどをシェアしていきたいと思います。

一緒に考えてみませんか?

読んでいただき、どうもありがとうございました。

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